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浅間神社 (せんげんじんじゃ)
 鶴間神社 (つるまじんじゃ) 
所在地住所 〒242-0001
神奈川県大和市下鶴間391
電話番号 046-263-7071
FAX番号 046-263-7218
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[ 浅間神社 ]
※ご注意:システムの構成上、地図のポイントと実際の神社の位置に多少の差異があります。

木花咲耶姫命   ( このはなさくやひめのみこと )
大己貴命   ( おおなむちのみこと )
表筒男命   ( うわつつのおのみこと )

1月1日歳旦祭(さいたんさい)
2月3日節分祭(せつぶんさい)
9月15日例大祭(れいたいさい)

[参拝の栞]
 御祭神 木花開耶姫命 畏くも浅間大神と御名をたゝえまつる木花開耶姫命は大山祇命の第二女にましまして天孫瓊々杵尊の皇妃である。けだし木の花は桜にして開耶は咲映の意を含んでいる。此の姫神は其の性素直にして容姿艶麗国色およぶものがない故にこのようにたゝえまつった御名であるという。其の貞節は日本女性の亀鑑として国民の等しく敬仰するところであまねき御神徳のうち、火難消除、安産、および航海、農業、漁業等の守護神としての信仰が特に著しい。      
 併祭神 大己貴命 元子之神社 大国主命の別の御名にして御神徳が広く大きいので幾つもの神名を持っておられる縁結びの神様として親しまれているが、単に男女の仲を結ぶだけでなくお互いのよりよき繁栄発展のためのつながりを結んで下さる神で、大きくは国土開発の神であり幸福開運、商売繁昌、防災除の神として深く信仰を受けられている。
 併祭神 表筒男命 元住吉神社 天照大神御出生のために大事な役割をなされた祓の神様で人生の新生と更生、生命の守り神、水の神、海の神、豊漁祈願の神、さらには歌の神として厚く信仰されている。
 御由緒 創立年代は不詳であるが、源頼朝が創建したといわれる。文亀神名録に鶴間神社と登載され、相模八十一社の巡拝所の一つとして鶴間郷総鎮守であったと伝えられる。新編相模風土記稿によると貞享元年(一六八四)再建の棟札が記されてあるが、現存のものは宝永四年(一七〇七)のものである。この棟札に「富士浅間大菩薩」とあるところから、この頃すでに浅間神社と呼ばれていたことがわかる。戦国末期に長谷川角行が現われ富士講を広めたので江戸を中心に浅間信仰が盛んになり、当神社の氏子も富士講を組織して例祭を六月朔日と定め富士の山開の日に行ったらしく、文久二年(一八六二)の村方絵図には浅間神社に向ふ道路に「字富士山道」とあり、亦、宝永四年の富士山大噴火による降灰を集めて富士を型どり塚を築造したものと思われる。
 其の後年を経るまゝにしばしば回禄の災があって、社殿等空しく烏有に帰し祭典も絶えがちになりほとんど荒廃するばかりになったが、大正十三年、氏子の崇敬にわかに高まって社殿を改築して御神徳の昂揚をはかった。昭和十九年一月四日付県公報をもって指定村社に昇格され、此の際子之神社、住吉神社を合祀した。
 昭和二十八年八月、神道指令に従ひ宗教法人浅間神社として神社庁に登録する。昭和四十八年、国道十六号線大和バイパス新設により境内地を大幅に削られ、諸般の情勢をかんがみ氏子相計って、神社百年の大計を確立のため移転造営を発願する。昭和四十九年九月十五日、建築に着手して五十年九月竣工、同月十四日、つきみ野八丁目十四番地(元下鶴間一四三七)より現在地に御遷宮となる。
 鎮座地 大和市下鶴間三九一番地、御社殿 神明造、床面積 八九、七平方米(二十七、二坪)、境内地 面積 四三八四、〇二平方米(一三二六坪)
 祭典 例大祭 九月十五日、元旦祭 一月一日、成人祭 一月十五日、節分祭 節分の日、鎮風祭 九月一日、七五三祭 十一月吉日、月次祭 毎月十五日
 交通安全、家内安全、安産、厄除、初宮参りその他諸祈願・祈祷受付けています。
 伝説「義経の財宝」 文治元年(一一八五年)三月二十四日、源義経は平家一族を壇の浦に破り平宗盛清宗等を捕虜として堂々と京の都に凱旋した。後白河法皇はその功をめで官位を与えようとした。しかし彼は鎌倉の御家人であり、頼朝の命があるまで受けることはできないと辞退をしたが、たってという法皇の勅によりそれを受けてしまった。
 また宗盛等捕虜の処遇についても人情家である義経の行為は鎌倉にある頼朝には意にそぐわぬことばかりであった。そのうち義経は捕虜を鎌倉へ送るべく京を発ったが、途中、頼朝の命を受けた北条時政が捕虜を受取り、義経等一行の鎌倉入はまかりならんといふ頼朝の命を伝へ鎌倉へ帰ってしまった。義経はやむなく鎌倉の目の前の腰越万福寺に家来と共に滞在し、頼朝の許しのある日を待つことにした。しかしその許はなかなかおりず思いあまって心中を書状にし、大江広元に託したが握りつぶされ、兄の目にふれる事ができなかった。(これが有名な要腰状である。)そのためやむなく一ケ月後に鎌倉入をあきらめ再び京へ向って腰越を発った。途中で、鶴間の浅間神社で一休みをしたが、この時一羽の鶴が鎌倉の方へ飛んで行くのを見て「あの鶴でさえ鎌倉へ入れるのに凱旋したこの義経が入れぬとはなんたる仕打」となげき、「自分は二度と鎌倉の地は踏めないだろう」といって頼朝へのみやげに持って来た珍器財宝を今はすべなしと境内のいずこかに埋めると、神社の堂に「あさ日さし夕日かがやく木の下に黄金千両漆万杯」と歌を書いて去って行った。
 以上
 
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