夫れ当社は、今よりおよそ一千数百年前
弘仁年間、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりです。爾来、御神威は赫奕と輝き、神社の歴史は連綿と続いて、関東一円の信仰を集めて現在に至っています。
徳川家康公は、江戸入国の折当社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、家門長久を御祈念いたしました。
江戸幕府作成の「東海道分間延絵図」には熊野権現として画かれ、同じく幕府作成の「新編武蔵風土記」には熊野宮として記載されています。
江戸時代初期には、鶴見川西方に位置しその後、妙高企業(神奈川県横浜市鶴見区元宮町)付近に位置したので、現在、このあたり地名を元宮といいます。天保年間には、JR線(東海道線)踏み切り付近に位置し、明治五年、新橋横浜間に日本で初めての鉄道が開通するに当たり、境内内と敷設線路が交差することになり、現在地に遷座しました。