当神社は、天文元年(1532)上杉謙信の武臣荒川伊豆守景親、主命により江ヶ崎村に武運長久祈願のため創建せられたと伝える。天正十九年九月九日伊豆守の嫡子八篠流の馬術家荒川長兵衛の検地であり、江ヶ崎村石高百七十四石九斗を領地として社殿を修理した。当時の民家は二十八戸、稲毛領に属し、後川崎領に属す。鎮座地は東通りと称し参道の左右に老松二株、その他境内に古杉老松多く、神域頗る荘厳であったと云う。天明八年荒川家末孫荒川数馬社殿を改築し、石造随人二基を奉献、文化年中荒川八左衛門に至るまで代々領主の信仰殊に深く、明治六年村社に列し、同四十二年九月七日寛政以前の無格社面足尊、惶根尊を奉斎せる大六天社を併合し本殿に合祀した。昭和三年七月二十日境内地全域鉄道省用地に編入のため現在地に遷座した。