神奈川県神社庁
 
お知らせ
神社Q&A
神社検索
神社庁とは
リンク
 
神奈川県神社庁のホームページ
神社詳細
熊野神社 (くまのじんじゃ)
  
所在地住所 〒235-0036
神奈川県横浜市磯子区中原4ー24-17
電話番号 045-771-6534
FAX番号
ホームページ
メールアドレス
[ 熊野神社 ]
※ご注意:システムの構成上、地図のポイントと実際の神社の位置に多少の差異があります。

伊弉冉尊   ( いざなみのみこと )
事解之命   ( こととけのみこと )
速玉之命   ( はやたまのみこと )
日本武之尊   ( やまとたけるのみこと )
建御名方命   ( たけみなかたのみこと )

1月1日新年祭(しんねんさい)
2月11日祈年祭(きねんさい)
8月18日近い日曜日大祭(たいさい)
11月23日新嘗祭(しんじょうさい)

[熊野神社縁起, 泉蔵社縁起]
 熊野神社縁起
 建久三年 (西暦一一九二年)、 源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場 (山崎ノ泉蔵社・亀ヶ谷ノ権現堂・二階堂ノ愛泉坊・蔵見堂) の内、山崎泉蔵院の僧真締智覚法印に治国安民の祈祷を命じた。頼朝の命を受けた智覚法印は、我が国第一の霊場とされて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の舟に乗せ祈りを込めて海に流した。樟舟は神意のまにまに旬日の後中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう智覚法印に命じた。智覚法印は東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年五月六日に着工し十一月十五日に完成した。後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め熊野権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰、万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月 (一五九四)、 社殿再建、正徳五年 (一七一五)、二十六世善祐のおり社殿を改築され規模は九尺に二間であった。後、安政四年 (一八五七)、 再度改築された。明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め法印は神職となり、約七百年間続いた泉蔵院は廃寺となってしまった。明治四十三年、神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。大正四年、社殿の改築が行われ本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付銅葺の建物になった。昭和六十一年に社殿新築の議が起こり、寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文夫氏が施工を請持ち、昭和六十二年十二月に現社殿が完成した。本殿二間に一間二五神明造り・幣殿二間に一間七五・拝殿三間に二間唐破風付銅葺である。
  [御祭神]
 伊邪那美之命 (本宮) ・事解之命 (那智) ・速玉之命 (新宮) ・日本武之尊=中原明神・ 建御名方命=諏訪神社
  [境内社]
 金比羅神社・摩利支天社・稲荷社・泉蔵社 (別記)
  [祭事] 一月初 新年祭、二月十一日 祈年祭・稲荷祭、五月下旬 摩利支天祭、八月中旬 例大祭、十一月二十三日 新嘗祭
 泉蔵社縁起
 当社は建久三年 (西暦一一九二年) 、源頼朝が征夷大将軍になった年に、国家安泰・万民和楽を祈願する為、鎌倉山崎の泉蔵院大僧都真締智覚法印に命じて、此の山上に熊野三所権現を勧請して熊野権現社を創建し、併せて山裾に寺を開創しました。この造営工事は同年五月六日に着工し十一月十五日に完成しました。落慶の日に頼朝は梶原を奉幣使として派遣し「紀州山桐谷寺」と云う寺号を賜わり智覚法印をその別当に任じました。二世栄源法印のおり梵鐘を造立、三世浄泰法印の頃 (推定) 鎌倉の兵火を避けて山崎泉蔵院を引き払って当地に移り山号を「大霊山泉蔵院」と改めました。五世祐賢法印 (正応二年・一二八九年) が社記を書き、二十六世善祐法印が此の社記を書写しています。二十八世祐山法印の折り正面に二間に二間半の観音堂が創建されました。当時の本堂の規模は南向五間半に五間でした。約七百年の間泉蔵院は熊野権現社の別当として奉仕し、治国安民の祈祷を続けて参りましたが、明治初年の神仏分離令により熊野権現社は熊野神社となり泉蔵院は廃寺となってしまいました。昭和六十三年、熊野神社御社殿新築落成の嘉き年に当たり、曾て熊野権現社内に合祀されていた、太神宮・貴布祢・八幡・牛頭天王・船玉の諸神と泉蔵院内に祀られてあった、不動様・迦羅童子・制多迦童子・観音様・お釈迦様・地蔵様・大黒天様・神変菩薩・四天王の諸神を合祀して「泉蔵社」と為し、往古を偲ぶよすがとしました。
 昭和六十三年 熊野神社宮司 三十五世 杉原章夫
 以上
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
▲ページTOPへ戻る
1つ前へ戻る      ホームページTOPへ戻る
神奈川県神社庁 〒235-0019 横浜市磯子区磯子台20番1号 電話:045-761-6387