本神社は弘治二年五月富塚郷の住人澤邉河内守信友の勧請による。
信友の子信重は富塚村が宿駅に定められたことを当社の霊験によるものと感謝し御伝馬証文下付の日を記念して十一月十七日を祭礼の日と定めた。その後信重、神沢の頂上を卜し新に社殿を建造して此処に御遷座申し上げる。
社殿は寛永、慶安、寛文年中に修造して神前に湯花託宣を執行す。寛文の改築中に境内の松の根本から金銅十一面観音が出土したという。宝永年中霊社ことごとく破壊せしを以て信興願主となり本社並に拝殿を新造す。
明治十四年五月台風のため破壊せるを以て同年八月十七日に現所に遷し奉る。
明治六年に十二月村社に列せられ、昭和八年八月十九日羽黒神社と改称す。
現在大祭は八月十七日にして、十一月十七日に記念祭を行う。