勧請年代は不詳であるが神仏分離前の別当であった密蔵院に伝わる文政2年記の古文書に、昔、横根の原に年老いた野狐がいて住民に害をなしまたなぜか毎年悪疫が流行した。古老いわく、昔横根には稲荷の社があったが今は廃社となっている。悪いことが続くのはその祟りである、というので村中総がかりで稲荷の社を再興した、と記されている。
また境内にある古井戸は、昔、巴御前が木曽に落ちていく途次、この社に泊まった時に化粧の水として使ったことから、巴御前ゆかりの「横根感念井戸」と言われている。近くには鎌倉みち、八王子みちと呼ばれている古道がある。
昭和12年頃までは春の例祭日に境内の馬場で催された旗競馬は有名で、近郷近在からの見物人で賑い、若い人たちの社交の場となったことから「嫁見の祭り」とも言われた。馬場を含めて境内地は2町歩近くあったが、大戦中食料増産のために開墾され、戦後は農地として開放された。
現社殿は平成13年10月に新築された。