勧請年代は不詳であるが、伝承では、寛文年中に伊予河野氏の後裔、石川治右衛門が当地に往来した時、一統の守護神として奉斎したのが創祀という。また明治11年に当地に伝わる伝承類をまとめた「和泉往来」の文書には「慶長年中の勧請という」とある。
恐らく当社も境川の両岸に祀られている境の神としての性格を持つ古い社と思われる。当地字名の「神田(かみだ)」は当社の「神饌田」があったからという。天保6年に社殿修復をした時の棟札が残されている。境内の「たぶのき」は推定樹齢380年で、横浜市の名木古木に指定されている。
平成11年に湘南台まで延伸した相鉄いずみ野線の線路が、社殿の背後を高架で通っているため、神社の環境は著しく変わった。