勧請年代は不詳であるが、社伝に「延応元年(1239)に飯田三郎能信、当時の地頭に復するや篤き奉幣の儀あり猶知行平山源太郎の崇敬特に深かりし社なり」と伝え、寛政12年(1800)2月、式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」と刻まれた銅製の神号額を奉納、また文化13年(1816)2月に神祇管領占部朝臣良長が当社に幣帛を献上して祝詞を奏上している。
新編相模風土記稿に「飯田明神社、鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷、山王を合祀す、村持。」と記され、鯖明神とあるように昔から境川沿いに多く祀られているサバ神の一社で、当社は「相模七鯖」のひとつに数えられている。境の神としての幾多の伝承も残されている。
明治6年(1873)に村社に列した。現在の社殿は昭和30年に新築されたものである。