和銅三年(七一〇)八月行基の草創により染谷太郎時忠が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立、後に寺号を甘縄院と名付けたことに始まるという。また源頼義公が当社に祈願して八幡太郎義家を当地に生み、康平六年(一〇六三)には当社を修復、永保元年(一〇八一)には八幡太郎義家公が当社を修復したという。
「吾妻鏡」によれば、伊勢別宮として源頼朝公が崇敬し、文治三年(一一八六)十月、社殿を修理し、四面に荒垣及び鳥居を建てている。また建久五年(一一九四)までに頼朝公は三度、政子の方は二度、実朝公は一度参詣している。
「相模風土記」には「神明宮、里俗甘縄明神と唱う」「別当臨済宗甘縄院」とある。
明治維新の神仏分離により、別当甘縄院は廃絶し、神明宮は明治六年村社に列格された。明治二十年五月、五社明神社を合祀し、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。
昭和七年社号を甘縄神明神社と改称した。常には里人慣習で甘縄神明社宮と呼称している。