[白山神社(毘沙門さま)]
もと毘沙門堂と称し、村の鎮守であった。建久二年(一一九一)源頼朝の建立と伝える。「相模風土記」には頼朝上洛の際、鞍馬寺に詣で、行基が楠樹で作ったと伝える毘沙門像を請得て鎌倉に帰り、此地に勧請すと記されている。その後暫らく荒廃していたが、享禄五年(一五三二)九月に再建したことが棟札の写しにより明らかである。又、元禄九年(一六九六)、宝永年中(一七〇四〜一七一一)にも再建があり、安永三年(一七七四)十月、慶応二年(一八六六)正月の毘沙門堂屋根葺替えの銘札もある。
末社に弁天社と白山社があったことが「相模風土記」に見える。明治維新以来白山社と称し村の氏神となる。麓に今泉寺があり、別当寺であった。明治四十一年無格社、八幡社(今泉字滝の入り)を合併す。
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