永正九年(一五一二)、北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築いた際、城内東北隅(諏訪壇)に鬼門除の鎮護神として信州諏訪神社を勧請した。爾来一族の崇敬厚かったが、天正十七年(一五八九)、城主氏勝、豊臣秀吉に敗れ、元和五年(一六一九)、徳川氏城郭を廃棄せしとき、村民、神社の荒廃を憂い現地に奉遷した。この時すでに鎌倉権五郎景政一門の霊を祀った御霊神社があり、諏訪神社と合祀された。「相模風土記」に玉泉寺持とある。
一説では北条綱成の時代に勧請したとも言われている。北条綱成は黄八幡といわれた有名な武将で天正十五年、七十三歳で没した。公一門の墓は社殿脇の山径を登った山頂にある。
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