創立起源は不詳であるが、伝承に源頼朝公が鎌倉建府の後、幕府の安泰と民心の安寧をひたすら神仏に祈請していた処、文治元(1185)年巳月巳日の夜の霊夢の導きによってこの宇賀福神弁財天を拝した結果、治政の確立と民心の安寧を得るに及び、爾来これにあやかってここを信仰する者が次第に増えたという。
神仏習合によって久しく弁財天(吉祥天女)の名で親しまれていたが、明治の神仏分離令により神社となった。
境内の岩窟より湧出する霊水にて銭貨を洗えば福寿開運するとの信仰が広く全国に行き渡り、縁日たる巳の日には熱心な崇敬者の参詣が多い。
『相模風土記』に「隠里。村の西方佐助谷にある大岩窟を云ふ。往古夜中に人語の響あり。聞くに悉く吉事のみを語りしと云ふ。又窟中に銭洗井と云ふあり、福神此の水にて銭を洗ふと云伝ふ。鎌倉五水の一なり」とある。