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叶神社 (かのうじんじゃ)
 叶大明神 (かのうだいみょうじん) 
所在地住所 〒239-0824
神奈川県横須賀市西浦賀1-1-13
電話番号 046-841-0179
FAX番号 046-841-0161
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※ご注意:システムの構成上、地図のポイントと実際の神社の位置に多少の差異があります。

応神天皇   ( おうじんてんのう )
神功皇后   ( じんぐうこうごう )
比売大神   ( ひめおおかみ )
天照大神   ( あまてらすおおみかみ )
保食神   ( うけもちのかみ )
大名貴命   ( おおなむちのみこと )
少名彦命   ( すくなひこなのみこと )
火産霊神   ( ひむすびのかみ )
白山比売命   ( しらやまひめのみこと )

1月1日歳旦祭(さいたんさい)
2月節分節分祭(せつぶんさい)
3月下旬祈年祭(きねんさい)
[春祭 (はるまつり)]
6月30日夏越大祓式(なごしおおはらえしき)
9月15日近い土曜日例大祭(れいたいさい)
[宵宮祭 (よいみやさい)]
9月15日近い日曜日例大祭(れいたいさい)
[例祭 (れいさい)]
9月15日近い日曜日例大祭(れいたいさい)
[神幸祭 (しんこうさい)]
11月15日七五三祝礼祭(しちごさんしゅくれいさい)
11月下旬新嘗祭(にいなめさい)
[秋祭 (あきまつり)]
12月31日年越大祓式(としこしおおはらいしき)
毎月1日月首祭(げっしゅさい)
毎月15日月次祭(つきなみさい)

[参拝の栞]
 叶神社由緒記
 一、御祭神 誉田別尊(応神天皇)、比売大神、息長帯比売命(神功皇后)以上併せて八幡大神と尊称する。
 一、御祭日 九月十五日
 一、御神徳 御祭神の応神天皇(誉田別尊)は、仲哀天皇と御祭神神功皇后(息長帯比売命)の間にお生れになられた皇子で、生誕より殊にすぐれた尊であり、大陸文化や高度な技術を我が国にとり入れ、古代日本の文化を一段と高め、大和朝廷の高揚を、母君神功皇后と共に大陸にまで輝かせた進取の精神の高い天皇であり、したがって、昔より厄除開運の御神徳と共に、我が国文教の祖、殖産興業の守護神として崇められ、比売大神は宇佐(現、大分県)の海の守護神として信仰され、この三柱の神を併せた八幡大神は、実に豊かな御神徳ゆえに、たとえば、東大寺大仏造営及び寺の守護としての手向山八幡、源氏と石清水八幡、鎌倉幕府と鶴岡八幡等々、日本史上大切な史実にかゝわりを持っていることは、周知の通りであります。更にこれらを八幡大神の表の御神徳として、他面では、応神天皇(誉田別尊)と神功皇后(息長帯比売命)との母子関係から、母が子を抱きかゝへ、自分の御子神を大切にはぐくみ、己の代りとしてこの世に下されると云う母子信仰の要素を持ち、大慈の母性愛の神としても多くの人に崇められて来たと云う、一種の聖母信仰を有するものとしての御神徳も持たれ、中世に武家将軍、源氏の深い尊崇を得たことから、武神と知られて来て居りますが、八幡大神の御神徳はもっと広く、そして深いものを持たれ、私達に浄く正しく明るく生きる倖せを恵み賜うて居られるのであります。
 一、御由緒 当社は、養和元年(一一八一)、神護寺文覚上人が、御神霊を山城國(現、京都府)男山の石清水八幡宮より勧請し創建したと伝えられ、その由縁は、文覚上人が源頼朝の為、源氏再興を発願し、治承年間(一一七七〜一一八〇)、上総国(現、千葉県)鹿野山に参籠し石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば、勝地を探し求めて八幡の一社を建立し、末永く祭祀をせんと云う誓いをたてて、廿一日間の断食苦行を重ね、養和元年(一一八一)、大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末、この浦賀に到り、当社を創建したと云われ、文治二年(一一八六)、叶大明神と称するに至り、後の叶神社の名がここに由来するのであります。
 以来、鎌倉時代より湊として開けた浦賀の鎮守として、南北朝、室町、戦国と時は流れ世は移る中で、浦賀の人々や浦賀港に出入りする人達の厚い信仰を得て来ましたが、殊に、江戸時代享保六年(一七二一)、江戸幕府がこの浦賀に奉行所を設置してより、浦賀奉行の職につくもの相ついで当社に参詣し、厚く崇敬し、春秋両度の大祭には参向の上幣物を奉納するのが常例となっていたのであります。とりわけ、寛政五年(一七九三)、当時の奉行であった仙石次左エ門政寅(二千七百石、後に堺奉行に転任)は、当社等の諸記録を探査し、自らそれを扁額に撰して奉納して居ります。天保八年(一八三七)、浦賀大火によって当社々務殿も炎上し、仙石政寅の奉納扁額も焼失しましたが、嘉永五年(一八五二)、扁額の縁起文の控えがありましたので、その時浦賀奉行浅野中務少輔長祚(三千五百石、後に京都町奉行に転任、画才に長けていた、書家文人としても有名)が、謹写して当社に奉納致しました。現在社殿に掲げられているのがこれであります。明治維新後、叶大明神を叶神社と改称しました。
 一、御社殿 現在の社殿は天保十三年(一八四二)に再建されたもので、本殿・幣殿・拝殿が一連の所謂権現造であり、これの建設費として三千両を要したと記録にありますが、これらは、当社を崇敬する浦賀の人々の浄財の結集であり、また、当時の浦賀湊の経済的繁栄の現われとも申せましょう。
 本殿及び幣殿は総桧造で、その内部は漆工による彩色が悉く施され、本殿の柱は金箔朱塗、桝組は繧繝彩色、蟇股は緑青色で、内部に極彩色の花鳥草木の彫刻が施され、扉は黒仕立蝋色塗、内面は金箔押しと云う誠に華麗なものであります。幣殿の天井墨絵の竜は、雪香斉円州の描くもので、同人の作品中最大傑作と云われております。また、拝殿は総槻造で花鳥草木の透し彫のある格天井で七四面ほどあり、社殿四方の周囲の外部も多くの彫刻が施され、これら名作の彫刻の作者は、当時名工と謳われた安房国(現、千葉県)千倉の彫刻師後藤利兵衛橘義光であります。かように、当社々殿は幕末期の宮建築・宮彫刻の粋をあつめていると云われております。
 一、御神宝 古円鏡 伝文覚上人奉納鏡。太刀 長二尺二寸五分 銘神息。扁額 圓満院宮筆御神号(絹地)一品有栖川宮幟仁親王筆。八幡大菩薩名号(絹地)鳩峯定安筆。一、史跡文覚上人庵室跡(境外地) 当社後背の嵐山々上にあって、古より「文覚畑」とか「虚空蔵屋敷」と呼ばれ、ここは文覚上人が当社建立の際、断食苦行をしたところと伝えられております。
 一、明治天皇御駐輦記念碑(境内地) 明治十四年五月十八日、明治天皇が観音崎砲台行幸のみぎり、当時、当社境内に存在した浦賀西岸学校に御休憩なされた跡地の記念碑であります。
 以上
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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