[御由緒]
相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い。
康平年間(1058〜1065)源頼義が東征の際、石清水八幡にならい、本郡懐島郷矢畑村本社に一社を創立し、後に源家が現地に奉還したと云う。
更に治承年間(1177〜1181)に源頼朝が鎌倉由比郷に遷したが、その旧社は存続し本社八幡と称したものと伝えられている。源氏代々が篤く尊敬し、源頼朝は治承年間に懐島の地若干を寄進し、また建久年間(1190〜1199)に肥後国有為の庄七百貫を寄せ、懐島権守平景能をして社殿の修復を命じた。弘安四年(1281)には蒙古軍退散を祈り、その後、永禄元亀年間(1558〜1573)に兵火に罹り堂宇・古記録等を焼失した。
古くは、本社の別当に十二坊があったが離散し廃坊となった。正保年間(1644〜1648)別当常光院の住僧朝恵は山岡氏と相計り社殿を再建した。また参道を整備し松を植えた。慶安二年(1649)八月には徳川家光が本村の地七石の朱印地を寄進した。明治維新の神仏分離に際し、別当常光院が複飾して祠掌となる。明治六年村社に、昭和九年九月六日郷社に列格。
相模川の舟渡し行けば大いなる神社あり、問えば八幡勧請の一とぞ。
『花の梢一木一木に神さびたり。
をる人や砥上ヶ原の八幡山神のもるてふ花の盛りは。』
東国紀行(天文十三年・一五四四年)室町時代より