[春日神社略縁起]
承応三年 (一六五四) 六月記の春日神社縁起一巻によれば、「春日神社はもと平塚山黒部宮と称し、建久二年 (一一九一) 右大将頼朝が、相模川橋供養の御祈願所とした云々」とあります。
また、建久三年 (一一九二) 八月九日、将軍家御台所御産気のため神馬を奉り、安産を祈祷したとあります。
故に安産の御神徳とともに、昔から旅立つことを鹿島立ちといわれますが、これは春日の神が鹿島を立たれて無事春日大社にお鎮まりになった故事によるもので、旅行・交通安全の守護神としての信仰も根ざしています。
源頼朝より御朱印の御寄附がありましたが、元和年中 (一六一五〜一六一六) に焼失し、その後江戸時代には、慶安二年 (一六四九) に徳川家光より社領六石の御朱印を賜りました。
明治六年七月三十日、村社に列せられ、明治四十一年四月三十日、神饌幣帛料供進の神社に指定されました。
御祭神
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
古語拾遺によると、言魂を掌る神の子とされています。
古事記の天岩戸開きの段では善言美詞をもって祝詞申すことを掌った神で、やはり言魂の神であります。即ち真実 (まこと) の言葉は、神のみ心に叶う言葉以外にないことを教えられています。
人にして神のみ心に叶う言葉を常に語れるようになったときその人は神の心に近い人に成り得たといえ、天児屋根命を信仰することは、善言美詞の出せるだけの言魂を持ち得る人たらしめ給えと祈ることにあります。
強く正しい心念と言葉を以て世を導かれ、平和な世を創るのに御功績が高い神であり、そうした心にふさわしい言魂を持ち、これを自らの強い意志で磨けよと教えているのがこの神の本願であります。
以上