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神社詳細
比々多神社 (ひびたじんじゃ)
 三の宮さま (さんのみやさま) 
所在地住所 〒259-1103
神奈川県伊勢原市三ノ宮1468
電話番号 0463-95-3237
FAX番号 0463-92-4381
ホームページ http://hibita.jp
メールアドレス hibita@athena.ocn.ne.jp
[ 比々多神社 ]
※ご注意:システムの構成上、地図のポイントと実際の神社の位置に多少の差異があります。

豊斟渟尊   ( とよくむぬのみこと )
稚日女命   ( わかひるめのみこと )
天櫛明玉命   ( あめのくしあかるたまのみこと )
日本武命   ( やまとたけるのみこと )
大酒解神   ( おおさかとけのかみ )
小酒解神   ( こさかとけのかみ )

1月1日歳旦祭(さいたんさい)
[元旦祈祷祭 (がんたんきとうさい)]
2月3日節分祭(せつぶんさい)
2月10日祈年祭(きねんさい)
4月21日例祭(れいさい)
[動座祭 (どうざさい)]
4月22日例祭(れいさい)
[三之宮春祭 (さんのみやはるまつり)]
4月22日例祭(れいさい)
[神幸祭 (しんこうさい)]
4月22日例祭(れいさい)
[着座祭 (ちゃくざさい)]
4月22日例祭(れいさい)
[御立の式 (おたちのしき)]
4月22日例祭(れいさい)
[鎮座祭 (ちんざさい)]
5月4日国府祭(こくふさい)
[国府祭 (こうのまち)]
[動座祭 (どうざさい)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[国府祭 (こうのまち)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[国府祭 (こうのまち)]
[神幸祭 (しんこうさい)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[国府祭 (こうのまち)]
[着座祭 (ちゃくざさい)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[国府祭 (こうのまち)]
[座問答 (ざもんどう)]
5月5日国府祭(こうのまち)
[御立の式 (おたちのしき)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[国司祭 (こくしさい)]
5月5日国府祭(こくふさい)
[鎮座祭 (ちんざさい)]
5月下旬土曜日まが玉祭(まがたまさい)
5月不定期崇敬者祭(すうけいしゃさい)
[植樹祭 (しょくじゅさい)]
7月20日大祓い(おおばらい)
[夏越の大祓い (なごしのおおばらい)]
9月不定期産土講(うぶすなこう)
10月17日正祭(しょうさい)
10月17日慰霊祭(いれいさい)
11月23日新嘗祭(しんじょうさい)
[新穀勤労感謝祭 (しんこくきんろうかんしゃさい)]
11月下旬酒祭(さかまつり)
12月20日大祓い(おおばらい)
[年越の大祓い (としこしのおおばらい)]
毎月1・15日1・15日月次祭(つきなみさい)

[参拝の栞]
 比々多神社由緒
 御祭神
 豊斟渟尊 天節明玉命 雅日女命 日本武命 (相殿) 大酒解神 小酒解神
 由緒
 比々多神社の歴史は大変に古く、神社付近より発掘出土した遺跡遺物などから推測すると、当神社の始源は今から約一万年以上前まで遡れる。社伝によると、比々多神社の鎮座は初代天皇の神武天皇六年、人々が、古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定、神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山とし、豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことに始まるという。
 第十代崇神天皇の七年、神地「神戸」を奉られ、次いで、孝徳天皇の大化元年 (六四五) に至り、相模国の国司・布勢朝臣色布知によって社殿の改修が行われ、一対の木彫の狛犬が奉納された。更にこの年、現在相殿に祀られている大酒解神・小酒解神の二神が合祀されるに伴い、「ウズラミカ」と称される須恵器が奉納されたという。なお、この狛犬一対とウズラミカは、共に、江戸時代の官撰地誌である『新編相模国風土記稿』 (一八四一年成立) に紹介されており、現在は、市の重要文化財、県の重要文化財に指定されている。
 天平十五年 (七四三) 、竹内宿弥の裔孫・紀朝臣益麿を比々多神社の初代宮司として迎え、同時に第四十五代聖武天皇より荘園を賜わる。
 第六十代醍醐天皇の御代、延喜年間に全国の主要神社の名簿 (これを『延喜式神名帳』という) が作られることになった時、比々多神社も登録され、以後、式内社 (『延喜式神名帳』記載神社のこと) として国幣 (朝廷より賜わる幣帛) を奉る神社となる。
 これより先、第五十三代淳和天皇の天長九年 (八三二) 、相模国国司・橘朝臣峯嗣を勅使として当国総社「冠大明神」の神号を天皇より賜わる。この神号は『吾妻鑑』建久三年 (一一九二) 八月九日の条にもみえる。即ち、征夷大将軍源頼朝が妻政子の実朝出産に際し、その安産祈願のため相模国の社寺に神馬を奉納したという記事の中に、比々多神社が「三宮冠大明神」の名をもって列記されているのである。
 南北朝、室町時代になると戦禍によって神領の大部分を失い、また、明応年間 (一四九二〜一五〇一) に、社殿を兵火によって焼失し、天正の初め、社地を埒面から現在の地に移転遷座し、更に、天正十九年 (一五九一) 、比々多神社が相模国の名社であることを知った徳川家康によって社領十石が寄進されるに及び、漸く社頭の復興をみるに至った。以後、家忠・家光以下十二代の将軍から神領の寄進がなされ、明治維新に至る。明治六年 (一八七三) 、社格を郷社と定められる。
 戦争が始まり大東亜戦争に突入すると、比々多神社境内の宮鐘も資源回収のため供出せられたが、終戦後、氏子崇敬者の幸福と平和を願って、人間国宝香取秀真氏に新鐘の制作を依頼した。昭和二十五年秋、香取秀真・正彦父子制作による第二の宮鐘が完成し、境内に設営された。そして、現在、比々多神社は事始めの大神様として、近隣はもとより広く関東一円の人々より篤く崇敬されるに至っている。
 年中祭事
 歳旦祭・元旦大祈祷
 除夜の鐘と同時に斎行される式典で、氏子・崇敬者の一年の家内安全・交通安全・商売繁盛などを、祈願者一人一人の氏名を御神前に奏上、祈願します。
 節分祭 (二月節分の日)
 立春の前日の厄除招福の行事で、毎年、氏子・崇敬者の中から選ばれた年男年女の奉仕によって、午前十時・正午・午後三時の三回、境内で「節分宝まき」を行います。
 祈年祭 (二月十七日)
 春の始めに五穀豊穰・産業繁栄を祈る祭で、氏子・崇敬者が健康で仕事に従事できるように祈願します。
 例大祭 (四月二十一・二十二日)
 三宮祭の名で親しまれている当神社の例大祭には、神輿の他に三基の山車が出ます。その三基の山車の頂上には各々、仁木弾正・熊谷直実・加藤清正のカラクリ人形が載せられており、神輿と共に氏子区域を巡幸します。境内では約二百軒の植木市が開かれます。
 国府祭 (五月五日)
 大磯町の神揃山と大矢場で斎行されるこの祭は、平安時代、国司が国府の総社において所管内の主要神社を奉祭したことに始まります。神揃山では「座問答」の神事が、大矢場では国司祭が行われます。
 まが玉祭(五月下旬)
 文化の継承と地域の活性化を目的としたお祭です。境内・社務所において茶道、書道、武道などの発表展示、夕刻には雅楽の夕べが行われます。
 大祓式 (七月・十二月)
 知らず知らずに人々が犯した罪・穢れを祓い清め、健康で明るい生活が送れるよう祈願します。
 正祭・招魂祭 (十月十七日)
 崇神天皇より当神社に神地「神戸」を賜われたことを感謝する祭で、続いて、比々多地区内の慰霊祭が執行されます。
 新穀・勤労感謝祭 (十一月二十三日)
 実りの秋に五穀豊穰を感謝し、あらゆる産業発展に感謝する祭です。
 酒祭 (十一月下旬)
 酒造りの神を相殿とする当神社の御神体ウズラミカを用いて執行する祭で、仕込み前の新酒の醸造安全と酒造関係者の商売繁盛を祈願します。
 神社に由来する地名
 三之宮・・平安時代、相模国の式内社十三社のうち勅使の参向する順序によって、一宮二宮・と称した。比々多神社は三番目の参向社だったので、三之宮と呼ばれ、それがそのまま村の名となる。
 竹ノ内・・竹内宿弥の裔孫で、当神社の初代宮司紀朝臣益麿の別邸があったことから、小字名となる。
 領家・・当神社の荘園・神領の役所があったことから地名となる。
 皇家・・国司が当神社へ奉幣のために参向する際の仮家があったことから地名となる。
 御所・・当神社斎館の跡地をいう。
 神戸・・崇神天皇の七年、天皇より当神社に神戸が賜われ、その神領地がそのまま地名となる。
 真田・・天平十五年、聖武天皇より荘園を賜わり、地名となる。
 血見世坂・・坂が急なため神輿渡御の際、怪我人が多く血を見なければすまなかったことから、この名が付く。
 気粧塚・・参道口と神揃山の入口の二ヶ所にあって国府祭のときに、神官がこの塚で衣冠束帯を旅装に着替え (参道) 祭場が近づくと、旅装から衣冠束帯へと着替えた塚の名から生まれた地名。
 神揃山・・国府祭に相模国一宮寒川神社・二宮川匂神社・三宮比々多神社・四宮前鳥神社と平塚八幡神社の五社の神輿が集い座すことから、この名が生まれた。
 埒面・・天正十九年以前、当神社の社殿があった旧境内地をいう。
 郷土博物館
 昭和二十八年、先代の永井参治宮司によって設立された郷土博物館は、伊勢原の歴史を調べる人々にとって、欠かすことのできない施設となっている。古代の伊勢原の文化発祥地とされる比々多神社周辺には、昭和の初め、三六〇基を超える古墳があったといわれる。以来、数多くの発掘調査が行なわれ、そもそも、その貴重な出土品資料の散逸を防ぐ目的で、当博物館は開設されたのである。
 博物館には、付近から出土した縄文式・弥生式の土器等の考古資料の他、中世から江戸時代にかけての古文書、絵図等が、多数保存展示されている。
 その二千点にも及ぶ所蔵品のなかには、県重要文化財の「うずらみか」 (昭和三十一年指定) と呼ばれる須恵器甕、市重要文化財の狛犬一対 (昭和五十二年指定) ・金銅単竜環柄頭 (昭和五十七年指定) 等の文化財も含まれている。
 氏神様への信仰の第一歩は、まク郷土の歴史を知り、郷土への理解を深めることにあるといえましょう。
 以上
 
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