◇御祭神 二宮尊徳
二宮先生は相州栢山村(今の小田原栢山)に生れ、小田原藩主大久保忠真公の抜擢により身を起し、富国安民の方法を説き、乱れた諸藩の財政を整理し、又荒地を開拓し、勤倹譲の美風により産業を振興させた。その功業は一世に卓越したものがある。
◇鎮座地及び境内
当社は御祭神の出身の地である小田原に神社を創立し、以って御神徳をあがめようとする報徳社員の力により、旧小田原城二之丸小峰曲輪の復元なった小田原城を東北に見る小田原市の中央に位置する。
境内は御祭神卒去八十年祭記念の為、小田原町より献納の境外所有地を含めて凡そ一万三千平方米余(四千坪)。老杉古松が四周を囲む静かな中にも明るい所で四季を通じて参拝者の心の憩の場である。
◇御社殿
神明造り 明治二十五年九月十二日 允許を得、社殿を建設して同二十七年四月十四日、御祭神を鎮座した。後明治四十二年四月、本殿幣殿を新築し、拝殿を改築して神苑を拡張し現在に至っている。尚神殿礎石は天保七年、関東奥羽大飢饉の際、二宮先生領主大久保侯の命により、小田原領内饑民救済の為、激論の結果大英断を以って開かしめられた米倉の礎石を、神社創立の際絶好の記念として社殿の礎石に用いた。
◇報徳文庫
報徳に関する図書を蒐集し、この道の研究、発展の為に供えて居る。又関係書物の発行、出版も行っている。
◇福住正兄翁頌徳碑
福住翁は二宮先生の高弟で報徳に関する著書も数多く、(主書「二宮翁夜話」「富国捷経」)その思想を後世に伝えた大きな力でもある。その業積をたたえた碑が境内の一角にある。撰文竹添光鴻・篆額「報徳克譲」二宮尊親書碑文の書者小島謙吉、大正五年五月建立。
◇報徳福運社
福住正兄翁の遺産を元にし、御祭神の遺教をもって行なう公共事業、教育、興産等の資金援助を行なう法人団体である。
◇報徳社(会)
御祭神を崇敬し報徳の主旨を実践することを目的とする報徳社を各地に設けて道を振興し、もって国家安泰をはかる機関である。