[参拝の栞]
神明神社の沿革
一、所在地 神奈川県南足柄市塚原三八八九番地(代表番地)
一、境内坪数 神奈川県南足柄市塚原字松原三八八九番地 二三二坪三合八勺
神奈川県南足柄市塚原字松原三九七一番地の二 十五坪
一、御祭神 大宴女尊
一、氏子区域 塚原日向、日影、矢佐芝、板屋窪、山崎、台河原の六ケ地区
一、神社の概要
明治四年、民有地境内地を上地し、同六年国有地となる(太政官神祗令)。
昭和二十三年三月、国有地境内保管林処分の法律改正、境内地の無償譲与の申請をなす。
昭和二十四年十月二日、所有権の移転登記(物件の価格七千九百二十七円五十六銭)。
昭和二十五年六月二十一日、譲与許可。
昭和二十八年十一月十日、宗教法人神社として発足。神社規則書認承。
昭和二十八年十一月二十七日、基本財産調査(立本 五〇万円であり総額五十三万六千四百三十二円)。
昭和二十八年十一月三十日、登記完了。
昭和三十年二月二十八日、実態調査。
昭和三十一年六月、承継登記実施。現在に至る。
一、行事
・神楽と同時に行事としては、競馬があり、その色彩を放っていたことである。奉納時期は明治三十七、八年直後であり四月十五日、十六日の両日競と共に実施されたようである。
・現在はその原型をとどめないが境内の南側に直線二、三十米の鉄砲馬場が開設されており大正年間には既に境内を廻るまわり馬場も開設されていたということは近在からの出店が立ち並び実に壮観であったようである。
・昭和の初期まわり馬場を一部なおし、畜産組合でも馬匹調連から行事に参劃し、昭和十七年、八年頃まで継続し競馬の特色を放っていたが、時代の進展に伴い廃止のやむなきに至った。昭和四十九年以降は時期に合わせ野だてや、文化的な催しが行われている。
附記
西郡一帯にその名をはせた大神宮さんとして親しまれ、信仰を厚くされていたことは立地状況と塚原地区の生産化育に対する守護神として悲喜交々営々として鎮座されただけあって、地元民から郷愁以上に感触をもたれていたことであった。外からの刺激ではなく自律的に内蔵されたこれらは発祥につながっているだけに実に尊いことであり、先住の皆様から受け継いだ感触を六ケ地区のより多くの方がたによって如何に心を寄せ仕えねばならぬか、命題であると同時にわれわれは神から見られた氏子の立場をより深く考えねばならぬ理である。
以上