祈年祭は「としごいのまつり」とも称し、収穫感謝祭である新嘗祭と対になる形で、古くから重要な祭祀とされてきました。五穀豊穣と国家安泰を神々に祈るまつりであり、二月十七日に宮中三殿・伊勢の神宮をはじめ、全国各地の神社でおこなわれています。
奈良朝以来の律令制下では、規定されている祭祀に際して、全国の神社(官社)に幣帛がお供えされておりました。各神社では、それぞれの祭祀により幣帛の有無や、内容の差異がありましたが、特に祈年祭の場合に限り、重要な祭祀として総ての官社に幣帛が捧げられています。この官社には、神祇官がまつる官幣社と国司がまつる国幣社、さらに名神大社・大社・小社といった区分があり、平安時代中期成立の『延喜式神名帳』には、官社として二千八百六十一社の神社が掲載されています。
『延喜式』(官一・四時祭上)には、祈年祭で供える幣帛の品目も挙げられており、官幣大社の場合、絹・麻・木綿といった布帛の他、弓、楯、酒、干し肉、海菜などさまざまな奉献物が供えられていることが分かります。また、まつりにあたり、厳重な物忌(斎戒)が求められており、唯一の大祀である大嘗祭を除き、最も重儀であるまつりとなっています。
その後、律令制の衰微や戦乱などにより、祈年祭の執行も大きな影響を受けましたが、明治初年の神祇官復興に至り、再び重要な祭祀として位置付けられるようになりました。