神社情報

1202092

横浜市青葉区

諏訪神社

すわじんじゃ
住所: 〒225-0023 横浜市 青葉区 大場町921

由緒
 創立年月日不詳 旧社格 村社 武蔵風土記稿大場村の条によると、元禄4年の検地では大場村は9町2段10歩と定められ神社の領域は私領分として筧三郎正重に賜ったもので、その子孫に至っているとある。又諏訪神社の条には、「見捨地3畝、村の艮の方にあり石段60階を登って覆屋2間に2間半、内に小祠を置く。南向なり。村の鎮守にして例祭は年々9月10日で神楽を修す。薬王寺(王禅寺の末)の持。」又稲荷社あり。それによると「2畝村の巽の方にあり上屋1間半に2間、内に小祠を置く巽(東南)向なり木の鳥居を立つ。これも薬王寺の持なり。」明治35年9月の棟札によると、神道扶桑教中講義中里村大場の白井利左衛門が奉納したもので、それによると新義真言宗王禅寺の末寺薬王寺の所有で諏訪大明神を信濃国より勧請したとある。勧請の年月日は詳でないがこの地は徳川幕下の家臣、士族筧三郎左衛門の知行地であった。明治維新以前は神仏混淆のお宮で、本地は十一面観音と称していたが、神仏分離の際に十一面観音を廃して、言代主神と建御名方神の二神を祭神として祀り「諏訪神社」と改称して神道に沿った神社として出発した。明治維新による神仏分離後は川崎市宮前区菅生の白幡神社の祠掌小泉政広氏が社務を兼務して神楽舞と共に神事を掌った。その後琴平神社宮司志村文治氏が後を継ぎ今日に至っている。尚宝暦6年(1755)10月15日の棟札があり、次の様に書かれている。「奉再造諏訪大明神小社一宇所、領主筧内膳殿、別当薬王寺導師秀山惣氏子、久保村大工清兵衛、座間村屋根師清七郎」とある。

御祭神

言代主神(ことしろぬしのかみ)
建御名方命(たけみなかたのみこと)

祭礼

1月1日
歳旦祭(さいたんさい)
2月17日
祈年祭(きねんさい)
10月10日
例大祭(れいたいさい)
11月23日
新嘗祭(にいなめさい)
12月30日
大祓(おおはらい)

境内神社

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住 所
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