神社情報

1203013

横浜市中区

本牧神社

ほんもくじんじゃ

本牧十二天

ほんもくじゅうにてん

住所: 〒231-0827 横浜市 中区 本牧和田19
電話: 045-621-7611
FAX: 045-623-1040
公式サイト: http://www.honmoku.or.jp

本牧十二天社と本牧神社
本牧神社(旧称・本牧十二天社)は旧来、本牧岬の先端(現本牧十二天一番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でした。その様子は江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全の神、地元民からは生業の守護神と崇められ、八百年以上の永きに亘り本牧の地に鎮座して人々のあつい信仰を受け続けていました。 伝記には、建久二年(1192年)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方角)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に六尺×四尺の朱塗厨子を奉納したとあります。
また、鎌倉将軍惟康親王より社領の寄進を受け、さらに室町中期には、関東管領より社領の寄進を受けました。天正年間には徳川家康公の関東入国に際し、高十二石免御朱印の下知があり、以来、徳川十五代将軍より「御代々頂戴」―とあり、方除け、厄除けにご神徳が顕然として、武家や庶民から篤く崇敬されていた様子が判ります。また、別当寺であった多聞院の由緒書によると『弘長三年(1263年)正月元朝、滄波洋々たる海中に炫爛として皎明を発し、一の大日靈女命(天照大御神)の像、今の社地の海岸に漂い給いしを郷人恭しく祠宇を建て、本村の総鎮守と奉斎したり。去るほどにいつの頃か僧侶の手により本地垂迹の説を継いで仏説十二天(日天、月天、火天、水天、風天、地天、梵天、毘沙門天、大日財天、閻魔天、帝釈天、羅刹天の十二神)を神前に祀り、本体大日靈女命を深く秘したり(今に古老は当の本体は本殿の背後より拝するものとする風あり)』とも記されており、十二天社の呼称のいわれを伝えています。
一尺二寸の十二体の天像は、明治初年の神仏分離令によって分けられ、本体の大日靈女命を祀って「本牧神社」と改称されました。

戦後の本牧神社
先の大戦において、横浜は大空襲の惨禍により市街の多くが焼け野原となりました。更にこの本牧地区は、終戦直後の昭和21年から、二十三万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い、以来、平成5年までの47年間、当神社も往古の境内地を失って本牧町二丁目への仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過ごしてきました。
米軍の接収が解除とともに、返還地域一帯は横浜市による区画整理事業が行われ、その結果、当神社の境内地は従前の「本牧十二天」ではなく、現在の「本牧和田」に換地されることとなりました。 こうして50年近くの長い間、仮遷座を忍ばれながら氏子とともに苦楽を共にされた大神様の御神恩に感謝の誠を捧げるべく、氏子崇敬者の浄財を募って御造営されたのが現在の御社殿です。まさに本牧神社の戦後の歩みは「ハマの戦後復興史」そのものと云えましょう。

信 仰
 大日靈女命は日本書記に天照大御神の別名として大日靈女貴神(おおひるめむちのかみ)として御名が記されていますが、当神社に於いては古くより大日靈女貴命様の御名で手厚くお祭りされています。 御神徳は、「日の大神」として万物の生成を司り、遍く人を照らし導かれる神様です。天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原よりこの国土に降臨される際には、大御神自ら斎庭(ゆにわ)で育成された稲穂を授けられ、この故をもって我が国に稲作文化が定着し繁栄するに至りました。また、大御神は、国民が生業とする様々な産業をお開きになり、日の本の国の繁栄はまさしく大御神の御神徳によるものと、私たち日本人は信じてきました。当神社の御祭神としては、「本牧沖合の大海原から顕現された」との社伝から、漁業や海運を生業とする人々には「大漁満足」や「航海安全」の神として、また、農耕に携わる人々には豊作の神として、地域の安全と繁栄を守護される御神徳が古くから篤く信仰されてきました。また室町時代より連綿と受け継がれる「お馬流し」は、地域社会全体から氏子・崇敬者一人ひとりに至るまで、あらゆる災いを祓い退け、清らかで健やかな日々が過ごせるように祈る力強い神事です。この特徴的な神事を氏子と一体となって厳修し続けてきた当神社は、その故に厄除け・除災招福・方除け・家内安全・商売繁盛・事業繁栄・心願一切成就等の幅広い御神徳を景仰する多くの参拝者で、御社頭は常に賑わいを見せています。

御祭神
■大日靈女命(おおひるめのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御異称です。大御神は皇室の御祖先神であると同時に、全ての日本人が総氏神と仰ぐ我が国で最も尊い神様です。
「日の大神」として、万物の生成を司り、この国土に生きる全ての人々の上を照らし導かれる神様です。天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原より地上に降臨される際には、大御神自らが斎庭(ゆにわ)で育てられた稲穂を授けられ、人々の生命を繋ぐ糧とするように教え諭されました。
我が国の産業の基礎である稲作は、この「斎庭稲穂の神勅」を起源とするのです。

■建速須佐能男命 (たけはやすさのおのみこと)
須佐能男命は、『古事記』において、伊邪那岐命(いざなきのみこと)が日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれた神様で、天照大御神の弟神に当たります。神仏習合時代には牛頭天王の名で信仰され、また「蘇民将来」における武塔神として、民間信仰の説話の中にも登場します。災厄を祓い、疫病を除いて福を招く神として、古来より厚く信仰されています。字宮原村の鎮守八坂神社が明治42年9月に本牧神社に合祀され、以来相殿(あいどの)神として祀られています。

■木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
木花咲耶姫命は、富士山を御神体とする浅間神社の御祭神で、火難消除・子育ての守護神として親しまれています。浅間神社は江戸時代に「富士講」の信仰団体を形成し興隆を極めました。富士講や富士塚は、直接富士山を遥拝できる眺望のよい場所にある例が多く、本牧では字間門(まかど)村の小高い山の上に浅間神社が祀られていましたが、明治42年9月に本牧神社へ合祀されました。当社の境内に現存する富士講の講碑には、弘化三年(1846年)の銘が刻まれており、近年発見されたの「神社明細帳附図」から、間門の浅間神社境内に建てられていたものである事が確認されています。

■大山咋命 (おおやまくいのみこと)
大山咋命は、山王社とも称される日枝神社の御祭神で、農耕や醸造の守護神して崇敬されています。本牧では、字台村に祀られていた日枝神社が大正7年9月に本牧神社に合祀され相殿神となりました。

相殿摂神
■八王子大神(はちおうじおおかみ/おはちょうじさま)
 旧八王子大神参道(横浜市中区本牧元町)
 八王子大神は、天照大御神と須佐能男命が「誓約(うけひ)」をされた際に生まれた神様とも、須佐能男命の御子神(みこかみ)ともいわれ、五男三女八柱の神様を指し、方除けの御霊験を垂れ給う神として崇敬されています。かつては本牧神社より約2キロメートル南西に境内地があり、字牛込村(現在の本牧元町)の鎮守として人々から“おはちょうじさま”と称されて親しまれていましたが、明治42年7月に本牧神社に合祀されました。本牧の周辺では特に御神威の強い神様として知られており、「神社合祀令」により本牧神社に合祀された神社の中でも、格別の位置づけにあったようです。現在も、「相殿摂神」と称して祀られており、旧氏子による祭祀が継承されています。
 例祭日 9月上旬

相殿末社
■若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
 八幡大神は古くからこの地を守護する神としてお祀りされてきましたが、その由緒は定かではありません。源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり鬼門守護の神社に厨子ほか幣帛を奉られたことが伝えられており、往古から武家政権より厚く崇敬されていたことがわかります。源氏の氏神である八幡大神は坂東の武士より武門の神として信仰され、現在でも心身錬成、勝運守護の御神徳が広く慕われています。
■阿夫利神社(あふりじんじゃ)
 丹沢山系大山の山頂に本宮を持つ大山阿夫利神社にお祀りされる大山津見神は、古くは石尊大権現と称し、修験の聖山でした。同山は大変雨が多く、雨降り山から「あふり」の名が生じたとも云われています。
 農耕の民からは祈雨の神として、また漁業の民からは漁場を知るために大山の見え方で判定する「山アテ」の目印、また港へ帰る際の目標の山として信仰を集める神社です。当地においても半農半漁の時代から豊漁・豊作の神としてお祭りされてきました。

境内末社
■宇氣の稲荷社
 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をお祭りするお社です。この神は稲荷大明神の御神号で親しまれ、五穀豊穣の神として古くから崇敬されてきた神であり、天慶5年には正一位の神階を贈られました。当神社では御社号に『宇氣』の文字を冠し、『保食(うけもち)=食べ物』を意味しています。食べ物は人間生活の基本であり、また、富の象徴でもあります。 同神社は大漁・豊穣・商売繁盛・開運招福に御霊験あらたかな神です。 末社社殿建立にあたっては、伊勢神宮外宮・豊受大神宮の御神璽も新しく勧請されました。
 例祭日 2月午の日並びに11月23日
■熊野速玉社
 古くは熊野龍王権現と見え、末社として祀りされていました。御本社熊野大社は熊野三所権現と称され、和歌山県紀伊半島の南部に三社それぞれ御鎮座されています。  当氏子地区が漁業の盛んな地域であることから、さらなる大漁満足・航海安全の霊験あらたかな大神としてお迎えされたと考えられます。  御祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)・熊野夫須美大神(くまのむすびのおおかみ)を奉祀しています。 同社に隣り合わせて榎木の樹がそびえ、榎木は「縁の木」につながることから、木の周りを右回りに三度回れば良縁に恵まれ、逆さに三度回ると悪縁を断ち切り、さらに新たな良縁に恵まれる御神徳あらたかな神として崇敬を集めています。
 例祭日 10月15日
■本牧水天宮
 『新編武蔵国風土記稿』にも古くから社殿の右側に鎮座する末社としてその名が見えますが、創祀の時期や由縁は定かではありません。安徳天皇を奉祀し、子授け・安産・子供の守護神としての御神徳があり、とりわけ『母子安泰』の鳥居をくぐると安産の御霊験が得られます。またこの神は海峡や港にお祀りされることが多く、当神社においても海運・漁業とゆかり深き土地柄から、海上安全の神としても信仰されています。
 例祭日 5月5日
■本牧天神社
 同社は当氏子地域に古くからお祀りされている社です。  菅原道真公を奉祀し、才知にあふれた御祭神の学業成就、芸道・詩歌・舞踊成就の御神徳により、数多の人から崇敬を集めています。
 例祭日 1月25日
 明治39年、政府により「近隣の中小神社は、当該地域の有力神社に合祀・統合せよ」という旨の『神社合祀令』が勅令として発出されました。この政策には「光と影」両面での評価がありますが、本牧では、大正7年までの間に、4つの字村の鎮守様が村社本牧神社に合祀され、それにより本牧神社は名実ともに本牧の「総鎮守」として全村からの崇敬を受ける神社となりました。合祀された神々は、本牧神社の御本殿に「相殿(あいどの=同じ御社殿にお祀りされる神様)」として奉斎され、主祭神・大日靈女命とともに今日に至るまで、氏子崇敬者からの篤い祭祀と崇敬を受けています。
 また、本牧十二天の旧境内地において末社として祀られていた神々も、先の大戦の戦災と戦後の接収により本牧神社が本牧二丁目の仮境内で苦難を凌いでいた間は、相殿として御本社の神々と御床を共に祀られて来ました。平成5年、本牧和田の新天地での復興御造営・御遷座が成ったのを機に、更なる御神徳の発揚を願う氏子崇敬者からの篤志を得て、宇氣の稲荷社・熊野速玉社・本牧水天宮・本牧天神社の四社が、順次それぞれの御社殿を新たに営み、御本殿からお遷り戴くことが叶いました。

御祭神

大日霊女貴命(おおひるめむちのみこと)
須佐能男命(すさのおのみこと)
大山津見命(おおやまつみのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
八王子大明神(はちおうじだいみょうじん)
八幡大神(はちまんおおかみ)

祭礼

6月30日
夏越大祓(なごしのおおはらえ)
12月31日
大祓(おおはらえ)
1月
1月1日 歳旦祭(さいたんさい)
【1月3日 元始祭(げんしさい)】
【1月25日 勧学祭・本牧天神社例祭(初天神祭)(かんがくさい)】
毎月1日1・15日
月次祭(つきなみさい)
8月初旬
夏季大祭(かきたいさい)
【1日目 お馬迎え式・例祭(おうまむかえしき・れいさい)】
【2日目 お馬送り式・お馬流し(おうまおくりしき・おうまながし)】

神奈川県の神社を探す

フリーワードの部分に神社名や御祭神の名称、鎮座地、お祭りの名称などを入力すると、該当する

言葉が含まれる神社が検索一覧に出てきます。

住 所
フリーワード