神社情報

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横浜市西区

伊勢山皇大神宮

いせやまこうたいじんぐう

関東のお伊勢さま

かんとうのおいせさま

横浜総鎮守

よこはまそうちんじゅ

住所: 〒220-0031 横浜市 西区 宮崎町64
電話: 045-241-1122
FAX: 045-242-7766
公式サイト: http://www.iseyama.jp/

安政の大獄で知られる井伊掃部守の立像が建つ掃部山公園(元の鉄道公園)や、元の代官所跡を残すもみじ坂の赤レンガ通、南に野毛山公園・動物園の在る丘陵地帯の中間の高台で、横浜の開港当時を偲ばせる浜の眺望台として外国と商う船の出入りを望み、横浜の全地域を見晴らす風光明眉の名勝です。(二)ご祭神 天照皇大神一座(アマテラシマス・スメオオミカミ) 天皇家皇室の祖神様で、伊勢神宮(三重県度会郡鎮座)の内宮のご祭神と同じ『古事記』にその昔、日本の国造り、神造りをされ伊邪那岐神が妻の伊邪那美神を慕い、黄泉の国へ行かれたけがれを、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓(みそぎはらへ)をなされた時に、左の御目より成りませる神と伝へられます。後、二神の詔命によって、高天原(全世界)を統治なさる様になりました。また御名字の如く、天高く輝き亘る日輪(太陽)の意で、この世に生きとし生けるもの全ての誕生から、生成発展を司り、その御神力は、この世になくてはならぬ真に尊く偉大な御神徳です。また天の岩戸の神話は余りにも有名で、その時岩戸にお隠れなされた大神をこの世にお戻しする為に天細女が舞い、手力男命が岩戸を開け、自らの光の照り返しに大神はさそわれ、この世に戻られました。この時使われた八八咫鏡は三種の神器として後に伊勢神宮に奉斉されました。当宮ではその神話をもとに絵馬に画き、社頭授与しています。(三)参拝順路 国鉄根岸線桜木町駅、東急東横線桜木町駅より徒歩にて10分、京浜急行日の出町駅より徒歩にて10分、横浜市営バス戸部1丁目停留所より徒歩にて1分、尚、境内には40台程の車が止められる駐車場がございます。(四)由緒・社殿 「関東のお伊勢さま」と親しまれる当宮は、明治初年国費を以て創建されたお宮で、神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。境内は3900余坪、御社殿は唯一神明檜造で、大昔の堀立て造りの面影を残し、屋根の千木(角の様な型)と鰹木が特徴です。神明奉仕は地面に起立したままの姿で行う立礼と称する作法と定められています。昔は久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが、神社名、創建年代も不詳です。明治に神仏分離、国家神道の時代となり、当地横浜は国の貿易の要として港が開かれると、市民の心を一つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈る為に、明治3年4月14日、時の神奈川県副知事の井関盛良氏が大政官に建白書を送り、『伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん』との布告を戴き、社殿をはじめ諸々の境内施設の建造が始められました。翌年4月15日、これらの施設が次々と竣工され、正遷宮が執り行われ、地名が野毛山から伊勢山へと変えられました。初代宮司は地元の代官職を務めていた、石川家の繁累龍山親祇氏が若干15歳で就任しました。横浜での市民を挙げてのお祭りは初めての事で、壮大華美を極めた様子でした。明治5年太陽暦の採用で例祭日が5月15日に変わり、戦前の御祭礼には市内官公庁をはじめ、会社、工場、学校に至る迄休日となり、まさに市民挙げてお祝い申し上げたとのことです。当初の氏子総代は、大谷嘉兵衛、幸兵衛、茂木惣兵衛、箕田長二郎、近藤良薫氏等、日本の経済政界に君臨された横浜の重鎮たる人々でした。以後、横浜の名士の方々が総代に就任しています。明治27年神職設置令により、龍山家が世襲として宮司職を務めることになり、以来、龍山源弥氏、龍山道和氏、龍山正道氏、龍山庸道氏と受け継がれています。旧来の社殿は関東大震災の禍を蒙り、ことごとく倒壊し、現在の御社殿は昭和3年、新たに復旧建造されたものです。表参道の一の鳥居は昭和45年、御鎮座100年を記念し横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので、総檜造り、二の鳥居は昭和55年、御鎮座百拾年を記念して建造されました。(五)杵築宮・子の大神 本殿左側の社殿、唯一神明檜造り 祭神-豊受姫大神、須佐男命、大国主命、姥母大神、底・中・上筒男神(住吉三柱神) 豊受姫大神は、明治初年、特に養蚕関係者の信仰が厚く生糸及び蚕種の守護神として崇敬を集めました。祭日は本殿と同じです。子の大神は野毛地域の氏神様で、御祭神は大国主命、神社は元野毛町4丁目あたりに鎮座されていましたが、第二次大戦禍に遭い炎上し、後、伊勢山皇大神宮杵築宮に合祀されています。(六)年間行事 1月1日 歳旦祭 中祭 1月3日 元始祭 中祭 1月15日 成人祭 小祭 2月3日 節分祭 小祭 2月11日 紀元祭 中祭 2月17日 祈年祭 大祭3月21日 春季皇霊祭遥拝式 3月21日 春季皇霊祭 遥拝式 4月3日 神武天皇祭 遥拝式 4月29日 天長祭 6月30日 大祓式 報告祭 9月15日 敬老祭 小祭9月24日 秋季皇霊祭 遥拝式 10月17日 神宮神嘗祭 遥拝式 11月3日 明治祭 中祭 11月15日 七五三 11月23日 新嘗祭 大祭 12月25日 大正天皇祭 遥拝式 12月31日 大祓式 除夜祭 小祭 この外、毎月1日と15日は、月次祭を斉行しています。 例大祭 5月14日 宵宮祭、15日 本宮祭、16日 後宮祭 ◎一年おきに御神輿の渡御が行われ、横浜の中心街伊勢佐木町を出発し、当宮に還るコ-スで猿田彦、木やり、手古舞い、囃子連、野毛ノ-エ節踊り等の列に、県内より20台程の御神輿が参加し、大変な賑わいをみせます。境内の神楽殿では無形文化財、横越社中による「土師流神代神楽」が奉納され、また、神奈川県全調理師協会による「四條心流包丁式」が奉納されます。 子の大神例大祭 8月19・20・21日 ◎野毛地区の氏神祭で、横浜の夏祭の中でも大変賑わうお祭りです。野毛町を中心に御神輿大小20台程が繰り出し、各所で催し物が行われます。 (七) 境内の碑表 =明治10年、西征陣亡軍人之碑 明治11年7月、大政大臣三條實美書で境内の南辺にあります。明治12年の建造で、碑表には同14年9月造立の「顕善彰義」の碑を置き、当時祭典の夜は、鳥居額上に花瓦斯を点火し、当時の美観をなしたと言われています。 〓彰忠碑 境内浦参道の傍らにあり、入口は門構えとなっています。明治27・8年、同37・8年、戦役陣亡軍人の招魂碑で、題字は元帥陸軍大将大山巌の書、明治40年の建設です。毎年秋分の日を選んで、野毛地区の戦没者慰霊祭を行っています。〓彰忠碑 境内二の鳥居上部にあります。明治37・8年、戦没横浜商業学校出身戦没者の為に建てた所で、題字は陸軍大将乃木希典の書です。毎年10月の良日に慰霊祭を行っています。 〓伊勢山碑 表参道二の鳥居前面左側にあります。明治7年1月建立、南總、重城保敬撰、碧山星野嶂拝書、井溢泉鐫字によるものでこの地に皇大神宮を勧請された諸々の経緯が述べられています。 (八) 太鼓楼 境内南面参集所裏にある高い建物で、昭和4年12月、横浜全市青年団が建造奉納したものです。太鼓の直径は百拾センチ、長さは百弐拾センチと巨大なもので、当時は毎晩青年団員が3・4人ずつ泊り込み、翌朝六時に太鼓を打ち、境内清掃の後神前に誓詞を奉読し帰宅した事が日記に綴られています。今日では青年団に代わり神職が、春夏は六時、秋冬は七時に太鼓を打ち伝統を継いでいます。当時屋根は流れ造りでしたが、御鎮座百拾年を記念し、神社と同じ神明造りに換えました。(九) 社号標 表参道の入口に建つ社号標は、昭和48年10月17日 (神嘗祭日) に、当時の氏子総代、丸山東作氏により、当宮御鎮座百年を記念し奉納されたものです。材質は、黒・白御影石・社号は当時の総裁、明治天皇第九皇女、東久邇聡子氏によるもので、高さは台座を含めて3メ-トルあります。 石柱文字 (右、神徳天高ウシテ、四海静平ナリ 左、皇国地久ウシテ、萬民歓楽ス) (十) 記念館・結婚式場 社務所と棟を続けて聳え建つ記念館は、昭和55年10月9日、竣工されたもので、当宮御鎮座百拾年を記念し創建されました。全館近代建築技術の粋を集めた鉄筋コンクリ-ト四階建てで、一階はロビ-、結婚式・宴会受付、二階和洋控室・会議室・各種会場、三階儀式殿・写真場となっており、社殿側二階以上に窓を置かない構造は、「神様を見降さない」との配慮がなされています。儀式殿は参拝者百余名の収容が出来、まさに荘厳華麗、古代より受け継がれた神事が、雅楽の調べ流れる中で、奥床しく執り行われています。また当宮結婚式は明治30年以来最古の歴史を有し、お二人の門出を思い出深く優雅にお祝い申し上げております。記念館の棟続きに、宴会・披露宴場が三部屋あり、一部屋百名以上の御宴会がお受けになれます。披露宴をはじめ、各種会議御宴会にお役立て下さい。御参拝御苦労さまでした。 参拝の作法 一、先づ手水を使って手を清め、口をすすいで神前に進む 二、心身を正し拝礼する この作法、二拝 二拍手 一拝 三、玉串料、賽物等は拝礼に先だち奉献する 四、祈願の詞等は拝礼に際して奏上する 参拝詞 (略拝詞) 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ

御祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

祭礼

5月15日
例祭(れいさい)

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