神社情報

横浜市南区
金刀比羅神社
ことひらじんじゃお酉様
おとりさま
大鷲神社
おおとりじんじゃ
祭神 大物主之命、崇徳天皇 由緒 当社は、遠く安政6年(1859)、讃岐国象頭山(四国琴平町)の金毘羅大権現を勧請して創建されました。初めは金毘羅大権現と称せられ、現在の横浜公園の地、港崎遊廓にありましたが、慶応2年10月20日の大火に類焼され、翌3年、吉原町に御遷座し、更に明治5年に再び高島町7丁目の海側に遷座し、現在の御社号に改称せられたのであります。翌6年3月には地方長官の認可を受け無格社として指定せられ、神社明細帳に登録されることになりました。復た更に明治15年4月、今の真金町に移転しました。これが現在の神域であります。本来当社は花柳街に勧請せられたものでありますから、其の移転と共にしばしば御遷座が行われたものでありましょう。大正12年の関東大地震、更には今次戦災に惜しくも社殿は炎上しましたが、現社殿は昭和25年の再建のものであります。御神徳 大物主之命とは、一般に言う大国主之命の別名でありまして、国土開拓はもとより航海安全、漁業、殖産、医薬百般の事物に御神威があまねき霊験あらたかであるとして厚く信仰されて居ります。例祭 5月10日 大鷲神社 祭神 天之鳥船命、手力雄命、日本武命 由緒 当社は明治初年、高島町に金刀比羅神社が遷された頃から江戸吉原町の例に倣っておとり様を勧請、同社の境内に末社として祀り、これが大鷲神社の初めであります。その頃から酉の市の行事は盛んであって、開運の守護神として崇敬厚く、今日に至って居るのであります。更に金刀比羅神社の御遷座と共に現在の神域に遷されました。もと社殿は別宮としてありましたが、今は金刀比羅神社の相殿に祀られております。例祭 11月の酉の市 酉の市 当社の御祭神、天之鳥船命の御名から宝を鳥船(鳳凰即ちおおとり)でとり12支の酉をあてられ、酉の市は正しくは酉待、酉の待ともお酉様ともいって大鷲神社の例祭であります。元来陰暦の11月に行ったもので、今では陽暦に行い酉の日に行う祭であります。往古はもっぱら武将階級のみの祭であったようですが、この酉の市の祭事が商人や花街等の根強い開運守護神の信仰が深くなり、毎年11月の酉の日に盛んに執行されるようになりました。酉の日は12日目に一度めぐって来るので、年によっては二度、三度行われることになっています。けだしお酉様の熊手は、酉(鷲)が取るに通じ取る熊手というので、福運をかき集むる縁起から喜ばれ、当社では熊手に開運守をつけ鷲掴みと言う語言から更に大鷲づかみと言う縁起にもとづき加喜米(掻き込む意)として一般参拝者に授与されております。毎年当日の例祭には、遠くは千葉房総半島、神奈川県湘南、小田原地方より参拝するもの多く、善男善女でいん賑を極め独占的な横浜の年中行事として民衆の心の中に生きる神様であり、御神徳高く信仰が非常に多いのであります。祭神 宇迦魂命 五穀を司り稲成り、稲荷であって万民の食物の調理を導き万物を利し、京都伏見稲荷大社の御分霊を祀る家業繁昌、心願成就、五穀豊穰の御神徳あり更に万物生成に霊験顕著なるものとして全国至るところに多くの稲荷信仰があります。由緒 不詳 例祭 2月の午の日
御祭神
祭礼
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