神社情報

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鎌倉市

佐助稲荷神社

さすけいなりじんじゃ
住所: 〒248-0017 鎌倉市 佐助2ー22ー12

由緒 相州鎌倉隠里佐介山稲荷大明神は、人皇八十二代後鳥羽院の御宇、右大将源頼朝公の再建し給ふところなり。その縁由を尋ねるに、頼朝公いまだ伊豆蛭が小島の配所にありし時、一夜気高き老翁現われ、公は清和の嫡流にしてまさに天下統一すべし、早く義兵を起こして奢れる平氏を討滅し宸襟を安んじ給へ、我は鎌倉鎮座の稲荷の神なり、時節到来を告げ知らすなり、と御声と共に失せ給う。頼朝神勅の奇特に感じ居し折節平氏追討の宣旨を賜わり義兵を催し、大敵悉く討滅し、征夷大将軍の位に任じ、鎌倉大蔵に屋形を築き天下統一の礎を固め給へり。これ偏へに稲荷神霊の加護なり、速やか社殿を造営し神徳を崇めまつらんと、屋形より西に当れる佐介隠里の霊地を選び畠山重忠に命じて社殿を造建せしむ。一皆尊崇し一山繁栄す。然るに頼朝公薨去の後次第に衰微し、星霜とともに神徳埋もれ、和光同塵の神威を敬するものも稀となれり。かくて時うつり寛元の頃、一人の聖僧あり、記主上人という。専修念仏の大道をすすめ遍く四海に浄土門を弘め天照山光明寺を開基し給ふ。或る時上人隠里の辺を過ぎ給ふに、多くの里童一匹の幼狐を捕えまさに打殺せんとす。上人深く憐み給い、里童をさとして幼狐の命を救い給う。其の夜半、上人の夢に異形のもの現われ庭前に上人を拝す。上人怪みて問へば答へて曰く、我は佐介稲荷神霊の使者白狐なり、今日我が眷族まさに死命の折、尊師これを救い給う、高恩山海にも優れり、その万分にも報い奉らんとて稲荷神霊の神勅を伝え申すなり、即ち近く当国に病難起こり老若多く重い病に悩むべし、その折尊師此の種子を地におろし、生うぜし葉を病人に与え給え、疫病忽ちに治すること疑いあるべからず、秘して衆民の救いとなし給えというかと思えば夢さめ給う。見れば枕元に一の紙包みあり、改めみるに種子なり、上人神授の霊種なりと秘蔵し給う。程なく一郡痢病の難あり、里人多く病患の床に臥す、薬治祈祷みな効なし。上人彼の種子を与へ地におろしさむ、三日にして長葉を生うじ、病苦のもの其の葉を用いるに癒えざるなし。人こぞつて歓喜し上人の徳を称す。上人辭して曰く、こは我が法力にあらず、佐介稲荷大明神の与え給うところの宝種なり、衆みな稲荷の神霊を尊び其の恩を拝謝すべしと。貴賎群集して神霊を尊崇すること往昔にまさる。上人更に諸人の助力を乞い社殿を再興し荘厳を新たにす、世に記主を佐介上人と異名するはこれに基づくなり。上人中興し給いしより以来、神徳更に輝き霊験日にいやちこなり、とくに商売繁盛、大漁満船、病魔退散の霊験顕然たり。仰ぐべし、信ずべし。

御祭神

宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
佐田彦命(さたひこのみこと)
大宮女命(おおみやめのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

祭礼

1月1日
元旦祭(がんたんさい)
2月上午の日
初午祭(はつうまさい)

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