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御祭神 豊宇気毘売神 一、祭事 歳旦祭・交通安全祈願祭 1月1日、祈年祭(春祭) 2月17日、例大祭 10月9日・10日、七五三祝 11月15日、新嘗祭(秋祭) 11月23日 二、由緒・沿革 豊受大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の6年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行の処として此地をその鎮の宮と定められた。これより後聖武天皇の神亀2年(725)勧請、遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ、のち遠馬三郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神としてあがめられた。江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神と改称した。御神殿は始め御陵を御神体と崇め拝殿のみであったが、のちこれを改めて内殿の創建が行なわれた。また治承4年7月渋谷重国と遠馬三郎時国公によって神門・社殿その他が新しく造営されたが幾多の兵乱に類焼し再建を重ねてきた。これより先仁明天皇の承知8年御陵より天照皇大神をご遷座した。奉幣は重陽9月9日、内宮は9月10日と定められた当時の御神域は後陵の伊勢山及び御神林御廟地をあわせて5万6千余坪といわれた。沿革について棟札によると 享保7年9月造立。明和6年7月修覆。寛政9年9月修造。文政7年9月再建。天保15年9月再建。慶応2年9月再建(本殿)。明治11年10月拝殿修造。明治21年10月修覆。大正3年9月拝殿修覆。大正5年4月修覆。大正13年2月修覆。昭和2年修覆。昭和23年10月拝殿屋根葺替(瓦葺)、向拝新造。昭和31年2月本殿屋根修覆。昭和37年10月本殿屋根改築。昭和48年10月大鳥居再建。昭和48年2月拝殿屋根修覆。昭和60年11月拝殿、幣殿改築(木造神明造)。昭和60年11月本殿屋根葺替(銅板葺)。昭和60年11月手水舎新築。昭和61年3月神輿殿新築。昭和61年9月御神輿奉献。三、境内地 1町5反2畝2坪(4562) 四、氏子数 350戸 五、社殿 本殿 神明造(木造銅板葺平屋)1.5坪。幣殿(木造銅板葺平屋)6坪。拝殿 神明造(木造銅板葺平屋)15坪。境内 神楽殿 木造亜鉛鉄板葺切妻 27坪。神輿殿 木造銅板葺平屋 8坪。手水舎 木造銅板葺 1坪。(含社殿)神饌所0.95坪 祭器庫0.95坪。六、社務所 木造平屋亜鉛葺 28.75坪。七、末社 寄宮五社 山王宮、琴平宮、三峰社、厳島大神、秋葉大神。七、内宮社 天照皇大神。その他 奉納絵馬三面(市指定重要文化財)江戸期の絵馬 江戸の絵師及当地の絵師 金指恵山作鵺退治の図
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