神社情報

当社は後土御門天皇の明応3年(甲寅)6月、勧請したと言う。明応年間、南都の人事奈良大炊奈良縫殿両人が大和国よりこの地に移り住むに際し、大和国春日神社を勧請し氏神としてこの地に祗ったもので、地名も奈良子と称し、発祥の地大和国平城京を偲ぶと共に、この地に小平城の郷を建設しようとした。新編相模国風土記稿に『別当泉乗院貴般住吉の二神を合祀す。本地仏不空羂索例祭8月1日』と記してあり、また、津久井鑑の中に御除地1石7斗8升7合と明記してある。社の構造は江戸時代初期で三社流れ造り正面の輪宝紋木鼻の象等神仏習合を表した社殿であり、寛延、寛政、文政、安政、明治の頃の改修の伝えもある。往時は奈良一族の氏神であったが串川流域一帯の広い信仰を集め崇敬され、特に元旦祭は盛大を極め、除夜の鐘と共に境内に篝火を焚き裸参りをする者も数多くあった往時の神域は相当広大で巨木鬱蒼たる御社であった。明治維新神仏分離により明治6年7月30日、村社に列格された。大字長竹(稲生 韮尾根 石ヶ沢 長竹)総鎮守の神社である。
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